美味しい野菜をお手元に。株式会社 山青果
八百屋さんだけどSNSで発信?コラボ企画?CM広告を打つ?など幅広すぎる活躍をみせる山青果の山城社長にインタビューしてきました!
美味しい野菜をお手元に。株式会社 山青果
八百屋さんだけどSNSで発信?コラボ企画?CM広告を打つ?など幅広すぎる活躍をみせる山青果の山城社長にインタビューしてきました!
山城 要さんについて
株式会社山青果を設立し、株式会社MIG物流を更に立ち上げ、豊物産・ゆたか青果をM&A(事業合併・買収)、過去には大手レストランとコラボ企画を起こし、インスタグラムでの発信などを手掛ける社長、それが山城要さんです。そんな山城さんが「後継者」を探しているとのことでお話を伺いました。
山城さんの歴史「とにかく稼ぎたかった!いい車に乗りたかった!」
20歳の頃から野菜の卸業に勤めていました。仕事をいくらかやれるようになって、リゾートホテルへの卸しを担当するようになりました。
その頃は競争も激しくなく、たまたまホテルへの納品の時に伝票を見てビックリしました。量が多いというのもあるのですが、すごい金額でした。
そうなると、一体いくら儲けが出ているのか気になって仕方がありませんでした。会社に戻り仕入れの金額を確認すると、100万円以上の利益が出ていることがわかり「自分もやりたい!」と単純に思ってしまいました。
その後、港町支店を出す事になり、責任者を任されました。
上に立つ者として『スタッフに伝えなきゃいけない』ことが出てきたのですが、職場環境は年上が多く、自分は20歳の若造に見られていると思っていました。
意を決して「自分はこう思う、これはダメだ」と伝えると、意外にも周りのスタッフは素直に受け入れてくれて「あぁ、上に立つっていうのはこういうことなんだな」となんとなくわかりました。
責任者の仕事は他にもあります。仕入れです。当時は東京の仕入先に電話で注文を取り付けます。
社長から「顔を見せてきなさい、そのほうが対応も良くなるから。」と言われ、将来的に独立も目指していたので東京の仕入先へ行きました。
東京の担当者と酒を酌み交わしているうちに意気投合してしまい「お前みたいにやる気のあるヤツは中央に出てみたら?」と言われました。
すっかり東京で働く気になってしまい、帰りの飛行機でどうやって社長に言おうか・・・と悩みながら沖縄に帰ってきました。
各方面に無理を聞いていただき、自分がやめる会社の取引先から「東京老舗の八百屋」を紹介してもらいました。そこは某有名ホテルへ野菜を卸したりしているような老舗でした。
老舗で勤め始めた自分は「レタスや大根などの野菜は一般人でも目利きできる、他の人ができないようなことをしないと。」と思い、当時珍しかったアーティーチョークやセロリアックなど西洋野菜の目利きができるようになっていきました。
5年間東京の老舗で勤め、沖縄に戻って来たときには誰もアーティーチョークやセロリアックのことは知りませんでした(笑)
沖縄で少ししたら独立しようと思い、元いた会社に2年間という期限付きで勤め始めたのですが、結局は5年間勤めていました。
紆余曲折がありましたが、東京の老舗で5年間の経験を積み、沖縄で5年間現場に携わった後に独立。株式会社山青果は創業から現在20年になりました。
山青果について
山青果は配達メインの八百屋です。新鮮・安全野菜をホテル・飲食店・学校を中心にお届けしております。県産野菜・果物はもちろん、県外野菜・果物・特産品も取り揃えています。
また、八百屋さんっぽくない側面もあります。過去にはコラボ企画として有名レストラン・居酒屋と共同でメニューを開発、コラボメニューを注文すると山青果で野菜引換券がもらえる企画です。テレビCMも打ちました。
他にも奥武山公園で青空市場という企画で野菜を販売したり、インスタグラムで青空市場の告知をしたりと「企画営業?」というような側面も。
豊物産・ゆたか青果をM&A(事業合併・買収)し、店舗の拡大も行っています。
「後継者」を探そうと思ったきっかけ
やっぱりコロナの影響ですね。自分が思い描いていた絵が一旦リセットされました。
元々自分の考えとして経営者は血縁じゃなく『できる人・やりたい人』がするべきで『才能・センス』が必要だと思っていました。経営は教えてわかるような仕事じゃないと考えていたのです。
適任者に出会えたら事業を譲ろうかとも考えていたのですが、『育ててみる』というのを新たな路線として考え至りました。後継者育成プロジェクトです。
●どんなことをするのですか?
6年間の育成を計画しています。多分スパルタ教育になると思います。
まずは豊物産の仕入れ・営業・ルート配送のスタッフとして入社し、野菜に関する知識はもちろん、経営の知識も身につけていただきます。
<初心・起業家精神>に色々書き出してみましたが、全てで100点を取る必要はなく、その人が得意な部分を伸ばして成長させていきたいですね。
最終的に豊物産から山青果へ異動し、社長として就任していただく形になります。
私は60才で山青果からは抜ける予定になっています。
その後は、後継者となった人が培った知識や経験、経営センスでお店を大きくしていってほしいですね。
●後継者の条件などはありますか?
基本的なことです。『挨拶ができて、営業ができる人』が条件です。
コロナ禍の昨今、自分から業務を引き継いだ後にいつ売上が激減するとも限りません。自らお客様のところに訪問し、商品を買ってもらえるような人に事業をお渡ししたいと考えています。
資格は普通免許さえあれば大丈夫です。
●グループ会社内や、お子さんに引き継ぎはできなかったのですか?
育成する場になる市場メンバーみんなで話し合い「後継者を育成する」という方針に固まりました。
実子はおり一応候補になりますが、もし実子が継ぐ場合、私は70才くらいまで山青果に居ようと思っています。後継者は他人と実子の二本柱で考えています。
これからの山青果
今後は施設などにも野菜を卸せるようになっていきたいですね。
また、誰にもできないようなことをしていきます、具体的には無形文化遺産に登録された「和食」用の食材を専門的に卸せることを目指しています。
会社概要
名称 | 株式会社 山青果 |
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住所 | 沖縄県浦添市仲間1−2−8 |
この記事は2022年03月14日に公開した記事です。掲載内容は全て2022年03月14日時点の情報となりますので、記事の公開から時間が経っている場合、掲載内容と実際の内容が異なる場合があります。情報を参考にする際にはその点ご了承ください。